この世は

  • 「ああ、この世はなんて醜いんだ」

    そうだ、この世は醜いだろう。

    「いいやあの月をごらん。あの輝きは美しい」

    そうだ、この世には美しいところもあるだろう。

    「そうかな。月なんて僕にはちっとも美しく感じられないな」

    そうだ、君にはそれが美しく感じられないのだ。

    「だったら君は何を美しいと感じるの?」

    「それは言えないね。言ったら、君たちは馬鹿にするに決まってる」

    そうだ、正直に言ったら笑われたり、否定されたりするかもしれない。だったら言わないほうがいいだろう。

    なぜならこの世は醜いのだから。

    「なに言っているんだ、馬鹿になんてしないよ。僕達はただ君の”美しいもの”が何なのか知りたいんだ。みんな君に興味をもってる。だから教えておくれ」

    そうだ、彼らは馬鹿になんてしないかもしれない。もしかすると共感したり、褒めてくれたりするかもしれない。

    なぜならこの世には美しいところもあるのだから。

    「そんな口車に乗せられて、ついうっかり口を滑らせるとでも思ったかい。 寄って集って笑いものにするつもりだろう。ああこわいこわい」

    そう、彼らは嘘をついてるのかもしれないのだ。信用なんてできない。

    なぜなら人には人のこころが見えないのだから。

    「君はずいぶんと用心深いんだね。流石にそこまで疑われるのは心外だが、君が言いたくないっていうならその気持ちを尊重するよ」

    「へん、なにを上から目線で善人ぶっているんだ。まったく性根の腐った奴らだ」

    「やれやれ、もういい。君のことはよーく分かったよ」

    彼らは諦めたようにかぶりを振った。そして続ける。

    「いいかい、美しさも醜さも、すべて人のこころが決めているんだ。 だから君の言葉は、すべて君自身について語ってるに過ぎないんだよ。性根が腐ってるのは君のほうさ」

    そうさ、なにもかも人のこころが決めている。

    だからどんな言葉も、ただの自己紹介に過ぎないんだ。

    「だから何だっていうんだ。たとえ僕がどんな人間だろうと、たとえ殺人者だろうと放火魔だろうとそれがどうしたっていうんだ。君たちには何の関係もないじゃないか」

    そうだ、君がどんな人間であれ他人には一切関係など無いのだ。

    なぜなら、君と彼らは違う人間なのだから。

    「よーくわかったよ。醜いのは世界なんかじゃなくって、君のこころだ。 だから君の眼にはどんな美しいものだって醜く映ってしまうんだ。可哀想なことだ」

    そうだ、世界はそれぞれ個人のこころの中にある。

    だから美しいものが醜く見えてしまうのは、とても可哀想なコトなのだ。

    「馬鹿だな。言ったろ、僕にも美しいと感じられるものがあるって」

    そうだ、確かに君は、君にも美しく感じられるものがあると言った。

    そしてそれは決して教えたりしないと。

    「ふん、君なんかが美しく感じるものなんて、どうせ取るに足らない、下らないものに決まってる」

    「ほらみろ、君たちのこころのほうがずっと醜いじゃないか。ああ、君たちになんか言わなくてよかった。僕の勝ちだ。僕のほうが正しかった」

    「いいや違うね。君だけが醜いんだ。つまらない勝ち負けに拘るのがその証拠さ。僕たちの世界が正しいのさ」

    「そんなもの、こっちから願い下げだね」

    チッ、と地面に唾を吐く。君はそうやって意思表示をした。

    それを見て、露骨に顔をしかめる。彼らはそうやって意思表示をした。

    「人間はふしぎだ」

    ずっと黙っていたしゃれこうべが口を開く。

    「この世はべつに何でもありはしないのに」

    「なんだい急に、どういうコトだい?」

    しゃれこうべが話しはじめる。

    「世界ははじめから一つなのさ。人のこころがあらゆるものをパッケージした一つであるように。だからこの世は何でもありはしない、あるがままなのさ」

    そうだ、この世界はべつに何でもありはしないのだ。

    誰がどう思ったところでただ只管そこにあるだけで、人の主観によって石ころ一つ動かされることはない。

    空がどこまでも空で、海がどこまでも海で、石ころがいつまでも石ころであるように、世界はただ只管そこにある。

    この世とはそういうものだ。

    「ところが本来一つであるはずのものを、人間はホットケーキのように切り分けるのがどうやら好きなようだ。やれそっちの形は不細工だ、醜い、ざまあみろ、やれこっちのほうが少ない、低い、不公平だ、などと争ったりする」

    「ふん……それがどうしたっていうんだい。もしかして、腹でも立ててるのかい?」

    「まるで昆虫が草木の下で歌っているようだ。風が湖畔の水面を揺らしているようだ。私にしてみればまったく同じコト。どちらかが美しくてもう片方が醜いなんてことがあるだろうか」

    「よく分からないが……まさか、どちらも勝者でどちらも正しい……なんて幼稚なコトを言うんじゃないだろうね?」

    「君たちのどちらが勝っても、何も変わらないよ。どちらが正しかったかは、誰にもわからないよ。不思議なんだ。 かつて巨大な力がこの世界を制した。それは人が持ちうる中で最も恐ろしい力だった。しかし彼らは滅んだ。勝利も栄光も財産も感情も誰一人として墓の下にはもっていけなかった。私を見れば分かるよね。ほんの瞬きする間の出来事さ」

    花は咲き、月は昇る。

    精巧な時計などなくとも時は過ぎてゆくし、誰も見ていない雪原にもオーロラは静かに降り注ぐ。

    勝者は消え、敗者も消えた。そのどちらでもない者も消えて、残ったものだけが今ここに居る。

    そうして世界はただひたすら回っている。

    「うーん……なんだか話が見えないな。要するに、ええと……どういうコトなんだい?」

    「たぶんだけど……しゃれこうべは、君と僕たちのどちらが言い負かされても世界はそのままちっとも変わらないから、争うだけ無駄だ……って言いたいんじゃないかな」

    「私には何の意見もないのさ。でも、君がそう思うならそうなんだ」

    しゃれこうべはカラカラと音をたてた。

    「やれやれ、そんな簡単にまとめられても困るんだけどな」

    そうだ、この世がそんな簡単なハズはない。それでいいんだ。

    「うーん、しかしそういう考え方もあるんだなあ」

    そうだ、人それぞれ色んな考えを持っている。それでいいんだ。

    「そうさ、それでいいじゃないか」

    そうだ、それでいいんだ。










    「で、結局しゃれこうべはどっちの味方につくんだい。まずそこをハッキリさせてくれよ。だいたい君はいちいち説教臭くてね……」

    「しゃれこうべの割には面白い意見だと感心するが、すこし視点がズレてるような気もするよ。そもそも僕達がいま議論すべきなのは……」

    「あっはっは」



  • 2014年夏